タコについて考えたこと

タコの足は、切っても切ってもまた生えてくるということを何かで聞いた。
まるでトカゲの尻尾のように、ピンチの時には切り離して自分は逃げる。
そういえばイカも足が切れるらしい。
だから、最近の深海ダイオウイカが水揚げされるとき、触手がなかったり、逆に触手だけが見つかったりするのだ。

けれども私が今言いたいのはそんな尻尾きりの話ではない。
タコの足のことである。
私は水族館が好きでよく行くのだが、かならずといって良いほど展示されているのがミズダコである。
昔親と一緒にどこだったかの水族館に行ったとき、タコ好きの父親がそのミズダコの前で、「うまそうだ」と言ったときにこの人はどこをみてうまそうだと思ったのだろうかと疑問に思ったものだ。
こののんびりと漂うように移動して、吸盤でガラスに張り付いてのそのそ動いているまさに今生きているこのタコの前で「うまそう」と思うなんてなかなかに神経が太い。
それを聞きながら、なんとなくタコを眺めていたときにタコの足の話を思い出した。
切っても切っても生えてくる足。
それなら、このタコを一匹飼っていれば、いざというときに足をいただけるな。
またそのうち生えて来るし。
と、そこまで考え至ったとき我ながらぞっとした。
私はいざという時に他の生き物を飼い殺すような真似ができるということだ。
魚をさばくときでさえ申し訳なく思うような気がしているくせに、生きているほかの生き物を、食べるために飼おうとするなんてまったくの矛盾だ。
先だって神経が太い、とあきれた父親よりも具体的で冷徹なのが自分だった。
生きていくというのはこういうことか、と心寒い気がした。

懐かしい海の思い出

暑い季節は、やっぱり水のある遊びが最高だと思う。
水泳なんて立派なものじゃなくたって良い。
涼しいかっこうをして、びちゃびちゃになって遊べたらそれで良い。
ホースの水をかぶりながら遊んだ子どもの頃の思い出。

いろんな偶然が重なると、ホースから出る水に、綺麗な虹が現れた。
海の遊びも良いものだ。
海は、水の中に入って遊ぶのも良いけれど、小さな生き物を探して遊ぶのも面白い。
カニやウミウシ、ヤドカリに小魚たち。
どれも、見つける度にワクワクする。
昔、若い頃友達と一緒によく近くの海に出かけた。
何をするわけでもなく、二人でずっと話をしていた。
勉強のこと、恋愛の事、将来の事。
本当の意味でまだよく世の中を知らなかった私たちだったけど、それなりに悩んだり迷ったりしていたような気がする。
そして別々の道を歩き、今二人とも母親になっている。
子どもの方があの頃の私たちの年齢に近い。
つくづく年を取ったなと思う。
きっと同じように悩んだりしているのだろう。
迷ったりするのだろう。
同じように、海を眺めに行ったりするのだろうか。
生きることは大変なことだと本気で思うようになったのは、一体いつごろの事だったか。
学生時代、あれほど光輝いていた未来は、もっと茶色っぽいマッドな色。
その中で、一つ一つ噛みしめれ生きている。
一つ一つ忘れながら生きようと必死である。
これで良いのかどうか分からないけど、これで行くしかあるまい。
ヤドカリやカニを見つけて遊んでいた頃を、なつかしく思い出している。
ホースの水でできる虹をもう一度見てみたいと思った。

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