職場近くの空き家の話
職場のごくごく近くに荒れ果てた一軒家がある。
平屋である。
窓ガラスが割れている。
中にはいらなそうながらくたや荷物が一杯に積まれている。
入口に表札はなし。
玄関の外にちょっとした門があり、たまに自転車用のキーチェーンがかかっていたりかかっていなかったり。
だからもしかすると誰かが出入りしているのかもしれないが、どう見たってただの荒れ果てた空き家である。
ワイシャツの一枚干しっぱなしのがあったり、割れた窓ガラスの中から家電製品の箱が見えたり、なんとなく気になってしまう家である。
自分が子供だったらもしかしたら忍び込んだりしたかもしれない。
それ程に意味のわからない不思議な空き家なのである。
けれども、もし忍び込んだとしたら。
そう考えたときに、かつてラジオで聞いたことを思いだす。
誰かリスナーが投稿したものだったが、近所の空き家に肝試しで入ったら、玄関入ってすぐのところで爺様と婆様がご飯を食べていたと言う…。
その姿を思うとどうしてもおかしくて笑いをこらえきれないが、もし自分が忍び込んで玄関に爺様と婆様がいたらしゃれにならない。
こっちは空き家だと思っても単なる不法侵入に他ならないのである。
とはいえ、その状況で、玄関で爺様と婆様とがちゃぶ台を囲んでご飯を食べているところを想像すると、いつもくすりと我ながら笑ってしまうのだが、それにしても本当にあの家は一体なんなのだろう。
空き家なのだろうか。
夜逃げしたのだろうか。
別に私の知ったことではないから持ち主からしたら大層余計なことなのだろうが。
空き家が多い気がする件
何だか最近空き家をよくみる。
何をもって空き家と認識しているかというと、表札がないことと、門扉が閉ざされていることと、あと新聞受けに養生テープみたいのが貼ってあることと、とまあとにかくたいてい分かる要素があるのだが、何と言っても人の気配がない。
新しい家はどんどん建つけれど、それと同じ位の勢いで空き家も増えているような気がする。
そういう建物は大抵の場合は、高度成長期に建てられたのか、もう少し前なのか、なんとなく当時は先進的なモダンなデザインであったと思われる構造をしている。
言い換えれば、今の建物の流行の感じではないということ。
全くこの分野には疎いのだが、みな一様にしっかりしたつくりであることは分かる。
そういう、残された家を見ると、私の胸には色んな思いが去来する。
決して高度成長期やバブル期に、その時代を「生きていた」訳ではないのだが、そういうもう帰ってこない時代のことを思うとなんだか切ない気持ちになるのである。
ここで家族がどういう生活をしたろうか。
子供が産まれて一人前になって、自立していくとき、その親達は自分の青年時代と比較して何を思ったろうか。
図らずも、当時の風俗と言うのは、その時々のドラマの再放送なんかを見ていると分かるので、その入れ知恵が私の思考にダブってくる。
きっと生意気な子供の頬を打ったこともあるんだろうな、とか、ポットには花柄の模様が入っているのだろうな、とか。
それで尚のこと感傷的になるのである。
ただ、そんな思いに駆られながら家々をじろじろ眺めていると、たまに空き家でないこともあるので要注意だ。